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個性を自立力にするために興味を広げるべし

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アスペルガーの進化論:自閉症が人類に発明をもたらした?

自閉症スペクトラム障害

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ヒトと他のほ乳類を分ける非常に大きな要因に「道具や概念を発明すること」があります。人類は700万年前にアフリカ大陸の中央部に誕生して以来、多種多様な発明を繰り返してきました。そして、人類が直面したさまざまな問題を解決してきました。この記事では固定観念を取り払って、ASD(自閉症スペクトラム障害)の性質が果たして来たかもしれない偉大な足跡について、想像力を巡らしてみます。

※ASD(自閉症スペクトラム障害)とは、自閉症、アスペルガー症候群、高機能自閉症、広汎性発達障害をひっくるめた表現です。

 

前回:ADHDの進化論:ADHD的性質が人類にグレートジャーニー(生存圏の拡大)をさせたのかもしれない

 

目次

  1. 人類と発明
  2. 自閉症スペクトラム障害(ASD)の特性
  3. 能力としてのASD
  4. なぜ現代では能力ではなく障害なのか?

 

 

人類と発明

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人類にとって最初の発明とは何でしょうか?それは石器だと言われています。中でもオルドワン石器と呼ばれる石器が、最も古いものだと考えられています(画像)。

画像を見て分かる通りこの石器はふちの部分にいくらか角があるように見えますが、ほとんどただの石ころと同じように見えます。ですが、人類にとってはこれが記念すべき最初の発明でした。このような角のある石器はモノを「切る」ことを可能にしました。オルドワン石器が作られる以前にも石でモノを「叩く」ことはできましたが、「切る」ことができるようになったのはこの石器が発明されてからです。それまで存在しなかった「切る」という概念自体を発明したとも言えるでしょう。

切ることは、動物の皮をはぐことを可能にしました。動物の皮をはぐことができると、毛皮を用いた衣服が発明され、アフリカ中央部よりも寒い地域でも生活することができるようになりました。その結果、ヨーロッパ大陸やユーラシア大陸の寒い場所に進出することが可能になりました(参考:ADHDの進化論:ADHD的性質が人類にグレートジャーニー(生存圏の拡大)をさせたのかもしれない)。後に続く発明の礎(いしずえ)になったというその意味でも、オルドワン石器は非常に重要な発明です。

では、人類にとって最初の発明(つまり石器)がなされたのはいつ頃の時期でしょうか?推定では今から約250万年前とされています。別の言い方をすると、私たちが「単なる石」と見間違えるような石器を作るために、人類誕生から450万年もの時間を必要としたのです。それほど、初期の人類にとって道具を発明することは難しいことだったのだと言えるでしょう。

 

石器が発明されるために必要ないくつもの偶然

では、石器はどのようなステップを踏んで発明されるに至ったのでしょうか?恐らく多くの偶然がピタリと重なったときに、石器が発明されたのです。石器の誕生に必要な偶然には次のようなものが考えられます。

 

①「石を叩き割ることが好き」という性質を備えた人物Aが生まれる(こんな変わった人物はまず生まれない)

②人物Aが生まれた場所では、たくさんの石が手に入る(扱いやすい性質の石が見つかりにくい場所もある)

③人物Aが、ある程度の腕力を備える年齢(10才頃?)まで無事に生存する(この時代、生存率は極めて低い。寿命も短い)。

④人物Aが、たくさんの石を叩き割ることを楽しみ始める。その結果、角のある石がたくさんできる。

⑤人物Aと同時期の同じコミュニティ内に「石をモノにこすりつけることが好き」という性質を備えた人物Bが生まれ無事に生存する(AとBのような人物が同時期にはまず生まれない。生まれても生存する可能性が低い)。

⑥人物Bが偶然、角のある石を拾う。

⑦角のある石を拾った人物Bが、角のある石をいろいろなものこすりつけて楽しみ始める。

⑧人物Bかその周りの人が、角のある石をモノにこすりつけることによってモノが「切れる」ことを発見する。かくしてオルドワン石器が発明(発見)される。

 

このような(もしくはこれ以上の)まどろっこしいことが偶然にピタリと良いタイミングで起こったことによって、人類初の発明がなされたと私は想像しています。ですが「石を叩き割ることが好きな人物」とか「石をモノにこすりつけることが好きな人物」って何だよw、というツッコミが聞こえてきそうです。

では、「石を叩き割ることが好き」「石をモノにこすりつけることが好き」などという性質を備えた人は本当に生まれる可能性があるのでしょうか?また、いくらそれが好きだからといって、石を割ったりこすったりすることを飽きずにひたすら続けるなどということがあり得るのでしょうか?私が知る限り、このような性質を持ち得る唯一の人々はASDの人々です。

ですが、障害であるはずのASDが「発明」をするというのは一体どういうことでしょうか?そもそもASDとはどのような障害なのでしょうか?

 

 

自閉症スペクトラム障害(ASD)の特性

ここでASDの特性について理解しましょう。ASDの特性には以下のものがあり、現代では「障害」だと言われています。ただし、同じASDと診断されている人でも個人によって程度は大きく異なります。(ここではASDの言語の障害には触れません)

①空気が読めない(社会的相互作用の質的な障害)

空気が読めないという障害をもう少し具体的にすると、「A: 他者の考えや感情を推測することの障害」と「B: 表情や声のトーンを見分ける能力の障害」ということができます。これらが組み合わさることによって、「空気が読めない」といわれるような症状を呈することになります。

ASDの人は、他者の思考や感情を推測することが苦手なことが多いようです。多くの人は、涙を流している相手を見れば自動的に「悲しいんだな」(それか、「うれしいんだな」)と感じます。ですがASDの人の中には、涙を流している相手を見ても、相手の感情の状態を推測することが難しいという人もいるようです。自動的な感情推測機能が備わっていないASDの人の場合には、後になってから相手の感情に気付くようなこともあるようです(気付くのは数秒後のこともあれば、数日後のこともあるようです)。

また、ASDの人は相手の表情や声のトーンを見分けることが難しいこともあるようです。ASDではないヒトの場合は他者と会話をする際に、相手の表情や声のトーンの変化を敏感に感じとって、相手が会話の内容に対して肯定的なのか否定的なのかを読み取っています。そして、相手の様子の変化から話す内容を調節していきます。このような調整を行うことによって、お互いの考えや感情を伝え合っています。ですがこの能力が生まれつき弱い場合には、会話の最中に話す内容や方向を微調整することが難しくなり、会話に違和感が生じる結果となります。 この違和感を評して人は誰かのことを「空気読めない人だ」と言うわけです。

 

②こだわりが強い

ASDの人は、他の人が気にしないモノやことに注目することがあります。そしてそのモノやことが自分にとって納得のいかない状態であると、非常に大きな混乱をきたすことがあります。逆に自分にとって納得いく状態である場合は、落ち着いた気分になります。

このような過剰な興味がある一方で、必要であることに対してまったく興味を示さないことも起こります。このような興味の強さや興味の偏りについての性質を「こだわりが強い」といいます。

こだわりが強い子どもは、親から見ると「気難しい」という印象を持つことになります。例えば、家からある場所へ向かう時の道順は必ず決まった通りでないと怒ったり泣き叫んだりするようなことがあるかもしれません。また、くるくる回ることが好きで、いろいろな場所(時にはそうすることがふさわしくない場所で)で回り続けているかもしれません。この例以外にも、こだわりの対象や方法は多種多様にあります。

成人でも自分のこだわりとの付き合い方を学ぶ機会が得られない場合、社会生活が混乱に満ちたものになることがあるようです。例えば、映画「モーツァルトとくじら」では、自分のタクシーを運転しながら頭の中でGoogleマップを展開し、他のタクシーの運行管理をしてしまう男性が描かれています。彼の能力自体は優れていますが、運転中にこれを行ってしまうので何度も交通事故を起こしてしまっています。この例以外にも、こだわりの対象や方法は多種多様にあります。

 

以上の①②がASDの診断基準3つのうちの2つです(もう一つ言語の障害が起こることがあります)。これらの「障害」をもう少し肯定的な表現に言い換えてみましょう。言い換えてみることによって、ASDの特性が人類の発展において果たしたかもしれない役割について考えやすくなります。一覧にすると以下のようになります。

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これらの性質が人類の発展に必要な道具や概念を発明していくためにどのような役割を担ったのか考えてみましょう。

 

 

能力としてのASD

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(アインシュタイン。彼の幼少期の言語発達の遅さや、相対性理論の完成までの思考実験の過程を伝記で読むと、彼が非常にASD的であり、その特性を有効活用した形跡があることがわかる)

①空気が読めない=他の人と目のつけどころが違う

空気が読めないことは、「他の人と目のつけどころが違う」という肯定的な性質に言い換えることができます。このことを説明するために、自閉症研究の第一人者であるサイモン・バロン=コーエン氏は、「共感する女脳、システム化する男脳」の内容を紹介します。彼は本書において、ASDという障害は男性的な脳の性質を非常に強めたものであると述べています。

男性的な脳の性質「システム化脳」とは、「人間以外の」自然現象や動物やモノを「よく見る/感じる/操作する」ことを好む性質です。モノの細部に注目する傾向もシステム化脳に含まれています。この性質 が強いことによって、ASDの人の独特な興味関心がもたらされるのです。

一方、女性的な脳である共感脳の性質とは、実は非常に複雑である人同士のコミュニケーションを成立させることに特化した、私たち人類だけが有している性質です。この性質があるからこそ、他の動物よりも複雑な内容を伝達し合うことができるのです。

ASDの人が周囲の人とは異なった対象に興味を持ちやすいことの理由は、システム化脳の働きが強く、対象の細部に注目する傾向があるためです。また、空気が読めないことの理由は共感脳の働きが弱いためです。このことから、「空気が読めない=他の人と目のつけどころが違う」という構図が成立します。

システム化脳の働きが生じさせる「目のつけ所の違いに」よって、偶然誰かが「石を割ること」「角の石をモノにこすりつけること」をやり始めました。そしてその結果、石器が発明されました。

逆に、みんながみんな共感脳の働きが強く、システム化脳の働きが弱い人ばかりであったら、人類は石器を発明していなかったかもしれません。石器が発明されなかったということは、現代になっても地球上のどこも文明化されておらず、人類は野生の状態で生活していたでしょう。

  

②こだわりが強い=ものごとを飽きずに繰り返せる

こだわりが強いという性質は、ものごとを飽きずに繰り返せる性質であると肯定的に言い換えることができます。同じことを繰り返せるというのは、発明にとって欠かせない素質です。なぜならあらゆる発明や発見には、繰り返しの結果として生じる「偶然」がつきものだからです(例えば史上初めて開発された抗生物質ペニシリンが、どんな偶然によって発明されたのか考えてみてください)。

「石を割るのが好き」な変わり者の人物に「飽きずに繰り返せる」性質があったことによって、初めて大量の角のある石が生産されることになります。大量の角のある石が生産されると、偶然それが有効利用される可能性も高まるというわけです。

逆に、普通か普通以下の繰り返し方では、角のある石が少ししか作られません。その結果、誰かに拾われて有効利用される確率も少ししか生じなくなってしまいます。この場合、人類が何かを発明するスピードはもっとずっとゆっくりで、現代になってもまだ狩猟生活をしていたかもしれません。

 

 

なぜ現代では能力ではなく障害なのか?

人類の700万年の歴史において、ASDの性質が非常に大きな役割を担った可能性があることについて考えてきました。 ここでなぜ、ASDの性質が現代においては「障害」とみなされているのかについて考えてみましょう。以下はこの記事からの引用です。ADHDの進化論:ADHD的性質が人類にグレートジャーニー(生存圏の拡大)をさせたのかもしれない

 

産業革命以降の時代の特殊性

最初に「障害」という概念ができ上がった時代のことから理解していきましょう。障害という概念が現れたのは、実はこの200〜300年位のことです。きっかけとなったのはイギリスで端を発した産業革命です。産業革命とは蒸気機関を利用したモノの大量生産、大量輸送を起こした大変化のことです。

産業革命によって、工場で大型機械を稼働させてモノを大量に生産するようになりました。産業革命後の社会を効率的に稼働させるためには、そこで生活する人々に一定の読み書き計算能力が必要になることが明らかになりました。もちろんそれ以前にも読み書き計算を必要としましたが、産業革命以前の時代とは比較にならないほど、読み書き計算が必要とされる度合いが高まったのです。

そのような時代背景の中で誕生したのが学校教育制度です。学校教育制度によって作られた学校は、それまでの寺子屋のような小さな個人塾のようなものとは異なります。学校教育では、地域地域に学校を作り、教室に同じくらいの年齢の子どもを集めて一斉授業を行うのです。このような一斉授業を行う過程で、何らかの理由で学習がはかどらない子どもがいることに気付かれるようになりました(現代でいう、注意欠陥多動性障害、自閉症スペクトラム障害、学習障害、知的障害などです。このような名称がついたのはもっと後の時代になってからです)。

産業革命が起こって学校教育が始まったことによって、それまでとは生活習慣や価値観、環境がガラリと変わりました。この変化に伴って、それまで大して気付かれなかったり問題にならなかった性質(もしかしたら有益でさえあった性質)が、「障害」として気付かれるようになったのです。

このような歴史について別の言い方をすると、障害というのは絶対的なものではない(状況によっては障害とみなされない)、と言えるでしょう。つまり、ある特性を持つ人が置かれた環境によっては、その特性は障害にも能力にもなり得るのです。現代に生きる私たちが発達障害として認知している特性は、過去の時代とは違う価値観を持つ私たちだから「障害」のように見えているに過ぎないとも言えるのです。

参考:【質問編】え?実はぼくもあなたも障害者?:世界の見方が変わってしまう7つの質問

 

 

まとめ

  • 「 障害」という表現はある特性の一面だけを捉えたものに過ぎません。見方を変えれば能力であるとさえ言える可能性があります。
  • あなたにもしASDという障害があるとしたら、その性質を有効利用することを考えてみましょう。
  • 特性を有効利用できるようになれば、あなただけでなく、周囲の人や社会にとっても大いに役に立ちます。

 

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