読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

個性を自立力にするために興味を広げるべし

個性を自立力にするための子育てや教育のやり方について発信しています。発達障害の成人向けの話題も発信してます。クエストスクール代表荒川の個人ブログ

スポンサーリンク


・【随時更新】これまでに読んできた子育てや発達障害の周辺の本20冊以上
・子どもと一緒に見たいアクション成分高めのオススメ映画10作品以上(対象年齢別。ときどき更新)

発達性協調運動障害を知っていると運動神経悪い芸人を笑って良いものかどうか分からなくなる件

スポンサーリンク

テレビ番組のアメトーク!に「運動神経悪い芸人」という企画があって、昨日、それを見ながら爆笑した。爆笑しながら、「この人達って発達性協調運動障害なのかもなぁ」「学校に通っていた頃に、たくさん笑われたり、バカにされたりしたんだろうなぁ」とも思った。笑って良いのか良くないのか分からなくなった後に、「笑っていいんだ」という結論になったので、その思考プロセスについて書いてみる。

ちなみに、なぜ、「笑って良いのか悪いのか」と考えたかというと、次の本の1節のことを思い出したため。

 

 

 

 

この本の中で著者の井上氏がとあるバラエティ番組を見ながら「自分を見ているようで苦しい」と感じたエピソードがあった。その番組は、漢字が書けない芸人に漢字を書くお題を出して、変な字ができあがってきたのを笑うというもの。学習障害で文字を書くのが非常に苦手で、そのせいで非常につらい思いをしてきた井上氏からするといたたまれない気持ちになったという。本書を読めばそうなる気持ちもよく分かる。そして強く印象に残っていたからこそ、「運動神経悪い芸人」を見ながらそのエピソードを思い出した。

 

その一方で、自分が有している特性を活用して「仕事にする」というやり方があるのも事実で、「運動神経悪い芸人」に名を連ねて、笑いを取り、お金を稼いでいる芸人たちが正にそれに当たる。

他にも、「笑いを取る」というやり方での仕事ではないものの、自分自身の性質を使って仕事にしている点では同じである例。小人症の人がその容姿を一種の才能として映画に出演したり(最近見た映画だとマッドマックス怒りのデス・ロードにも出てきていた)、戦場で腕を失ったアメリカの傷痍軍人(しょういぐんじん)が戦争映画の中で腕を吹き飛ばされる描写を表現するために出演するようなことがある(かつて見た映画だとプライベート・ライアン)。

このことから、自分自身に備わっている性質を使って仕事にしている人がいる以上、そのような人たちの仕事の仕方、生き方に対して基本的に肯定する立場を自分は取ろうと思った。

 

では「運動神経悪い芸人」を見て「笑ってもいい」という結論になる理路とは、

  • そもそも「おかしいこと」を笑うように、人間はできているように見える
  • 「運動神経悪い芸人」は笑いを取ることを仕事にしているので、笑わせようとしている番組で笑ってしまうのは自然なことといえる
  • 極端な話、おもしろいと思ったことを笑うことが一切許されないような状況が作られてしまうと別の意味で問題である
  • したがって、「運動神経悪い芸人」をおもしろいと感じたのなら、後ろめたくならずに笑って良い

このような考えの順序で、自分自身を納得させた。そして、ここまで考えた後に気になるのは「自分の子どもや、小学生、中高生にこのことに関してどう説明するか」となる。彼らに伝えるべき基本的な考え方としては、「それを仕事にしていない人を笑ったり、好奇の目で見てはいけない」、「たとえ、笑いを取ることを仕事にしている芸人が相手であっても、彼らが番組を離れた所にいるときにバカにするような態度をとってはいけない」とでもなるだろうか。

「それを仕事にしていない人を笑ったり、好奇の目で見てはいけない」のはあたりまえで、学校にいる運動神経が悪い子を笑うのは良くない。冒頭に紹介した本は、書くことに関係する運動神経が極端に上手く働かない人の体験談であって、そのような人を笑うことの残酷さが示されている。

やや話が逸れるかもだが、お笑いの「いじり」で笑いを取るやり方を、いじられることに同意していない相手に対してやってしまうと「いじめ」になってしまうという難しさがある。この点についても、自分の子どもには今後ちゃんと伝えていきたいので忘れないようにしておこう。

それにしても、笑いは難しい。2人での漫才での役割だって、「ボケ」と「突っ込み」と名付けられていて、「ボケ」を書き換えれば「呆け」になって、「痴呆」という言葉も連想されるようになる。ボケの人が間の抜けたコトを言い、その間抜けな言動に対して「この人、間抜けなこと言ってますよ」とツッコミが入るから、見ている人に笑いが生じるわけで。人が楽しく笑うことと、誰かの間の抜けたこと(失敗)は、分けて扱うことができないようです。

 

そんなことを考えつつの大晦日でございます。読んでくださっている皆様、本年もお世話になりました。来年もよろしくお願い致します。

 

関連記事

広告を非表示にする