「空気読めない」を体感しよう
最初に下の絵を見てみましょう。
最初に目に入ったときに何に見えましたか?老婆と老父の横顔ですか?帽子をかぶっている2人の男性ですか?ほとんどの場合、老婆と老父の横顔だと思います。では次にこの絵を、座っている2人の男性として見ようとしてみてください。
かなり意識すればそうすることができると思いますが、ちょっと気を抜くと再び老婆と老父の横顔に見えてしまうはずです。この体験からわかることは、ぼくたちの脳には、絵の部分部分を統合して人の顔のように解釈させる自動的な働きがありそうだ、ということです。このように全体をとらえて解釈させる脳の働きのことを心理学ではゲシュタルトと言います。
ではもし、このゲシュタルトの機能が生まれつき弱かったり、備わっていなかったりしたらどうなるのでしょうか?
そのような場合は上の絵を見た瞬間、老人老婆の横顔ではなく、座っている2人の男性として見えるはずです。そして、これを老人老婆の横顔として認識するためにはかなりの努力をしてやっとそう見えるかもしれません。もしかしたらまったく老人老婆の横顔として認識できないかもしれません。
では次に下の写真を見てみましょう。これは何をしている場面でしょうか?
ぼくたちの脳にはゲシュタルトの機能が備わっているため、この写真が「キャッチボールをしている所」と認識するはずです。
ではもし、ゲシュタルトの機能が弱かったり備わっていない人がこの写真を見たら?何をしているかさっぱりわからないかもしれません。両腕を右に伸ばしている男性、宙に浮いている白い丸、遠くに立っている男性。いったい何だこれは?そうなるかもしれません。自閉症の人の中には、実際にそんな風に見える人もいるといいます。
このように、脳のゲシュタルトの機能の強弱によって、同じ写真でも見え方が全く違ってしまうことがあることがわかりました。これがわかったということは、空気が読める人と読めない人の違いについても理解できるということです。
つまり、「空気が読めない人」というのは、同じものに対しても他の人とは違ったものの見方をしているということです。「空気を読めない人」は多くの人よりも細部を見ているかもしれませんし、逆により大きく捉えているかもしれません。そのような捉え方の違いが、結果的にコミュニケーションする際に「なんか変だな」という印象を与え合う。そういうことなのだとぼくは理解しています。
そしてまた重要な点なので指摘しておくと、「空気読めない」というのは「目の付け所が違う」ということです。この違いを活かして世界を変えたのが、「手のかかる子どもだった偉人たち」であり、動物に苦痛を与えない牧場のシステムを作った動物学者テンプル・グランディン(本人は自閉症)です。「違いを活かす」という視点の大切さを忘れてはなりません。
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photo credit: Museo Ilusionario via photopin cc