ある日急にトイレの水を流さなくなった小学5年生は、何を考えていたのか?
私の知り合いのお子さんに、ある日、急にトイレの水を流さなくなったという小学5年生の男の子がいました。さすがに大の方は流していたようですが、オシッコは流さなかったといいます。そのお子さんのお母さんは「何で、トイレの水を流さないの!?」と叱ったのですが、男の子には彼なりの言い分があったようで、とても不満気な表情をしていたそうです。さて、この男の子にはどんな事情があったのでしょうか?
34歳になった本人がその時の事情を語ります。
3人称の方が書きやすいので引き続き他人ごとっぽく書きます。
母は環境問題が好きだった
男の子のお母さんは環境問題に関心がある方でした。環境問題だけでなく、アフリカの飢餓にも関心が高く、特定の家族に定期的に支援して擬似的な家族になるようなプログラムにも参加していたようでした。男の子は小学生低学年の頃、お母さんに「これが新しいお姉ちゃんよ」と言ってアフリカ系の女の子の写真をおもむろに見せられてうろたえた記憶があります。
そんなお母さんは水質の汚染について、ある時男の子に伝えました。
母「あなたが大人になる頃には、水が飲めなくなるかもしれないよ」
男の子にはぜん息があった。環境に敏感だった
男の子には2才ころからぜん息がありました。結構ひどいぜん息で何度か入院したこともあるようです。そんな男の子だったので、身の回りのホコリに注意するように言い聞かせられて成長していきます。
母「ホコリを立てると、ぜん息の発作が出るわよ」
お母さんはそういう言葉を度々発していました。男の子は実際に苦しくなるので、ホコリは恐ろしいものなのだと思うようになりました。そしてそこから空気の汚れだけでなく、「汚染」と名がつくものは自分の体を蝕んでいくものなのだと考えるようになっていきました。世界は汚れに満ちていて、恐ろしいものなのだという考えが育っていきました。
トイレの水を流さなかったのは、彼なりの環境対策だった
男の子のこのような事情を考慮すると、彼がある日突然、トイレの水を流さなくなったのも合点がいきます。男の子のお母さんが言った「あなたが大人になる頃には、水が飲めなくなるかもしれないよ」という言葉は、男の子にとってはとても恐ろしいものでした。
世界が今よりも更に恐ろしいものにならないために、男の子は自分にできることがないか探してみました。探せば意外と見つかるもので、トイレの水が沢山流れていることに気が付きました。そこで男の子は、「自分がオシッコをした水を流さなければ、水が汚れないで済むぞ」と考えました。
しかしそれをしばらく実行した結末は、水質汚染について教えたお母さん本人から「ちゃんと水、流しなさいよ!」と叱られるという、報われないものでした。
親の日頃の言動から、子どもは様々な影響を受けている
では、男の子とお母さんはどのようにすればよかったのでしょうか。私が参考にしているスキーマ療法の理論では以下のようになります。
悪い例:母「あなたが大人になる頃には、水が飲めなくなるかもしれないよ」
良い例:母「あなたが大人になる頃には、水が飲めなくなるかもしれないよ。だけど、例えば○○のようなことをしていけば大丈夫だよ。あなたにもこんなことならできるよ。」
悪い例では嫌な事実だけを伝えているのに対し、良い例では嫌な事実だけでなく「こうすれば大丈夫」という対策まで伝えている点が異なっています。「こうすれば大丈夫」というメッセージを伝えることが、子どもの心の平和にとって重要なはたらきがあることが、私が行った研究からも分かっています。
このように、親の言動から子どもは様々に影響を受けています。悪い例のような関わりを続けていくことによって子どもの心には「世界は危険なところで、自分にはどうすることもできない」という無力感が育っていってしまう恐れがあります。そして無力感の増幅はうつ病のリスクを高めていくことが私の研究では分かっています。子どもの将来のこころの健康のためにも、親は何か不都合な真実を伝える際には「こうすれば大丈夫なんだよ」ということを適切に伝えるようにしましょう。
ちなみに、クエストスクールの生徒さんと親御さんにもその子の心の状態を確認しながら対応していくやり方を取ることがあります。自分の嫌な経験も、こういう有効活用の仕方があるのだな、と今はポジティブに捉えています。