「おもてなし」が至上の価値という状況においてだと、発達障害は不利だなぁ
「おもてなし」は日本の魅力であるようです。2020年のオリンピックでも「おもてなし」というのものがアピールポイントとして打ち出されていました。
ここで「おもてなし」というのがどのようなものだと私が認識しているか確認しておくと、「すごい、気が利く」とか「言わなくても伝わる」というものなのかなと思っています。周りの人が気が利くと、確かにお客さんは気持ちが良いですよね。
それでこのような「すごい、気が利く」というスキルそのものの価値は良いものと認めた上で、私としては「すごい、気が利く」ことがかなり重要なスキルとして人々に刷り込まれているように見える点に、ちょっと問題意識を感じているのです。
気が利く男、秀吉
例えば、かの有名な豊臣秀吉は非常に気が利く人物として織田信長に可愛がられたというエピソードがあります。
長距離を移動して汗をかいている信長が休憩していると、秀吉は信長に茶碗いっぱいのぬるいお茶を持ってきました。信長は汗をかいて水分がほしいし、あまり熱いものは飲みたくないので、ぬるいお茶は調度良いと飲み干します。
信長が「代わりを持てい」というと、今度は秀吉は先程よりは量はやや少なく、温度は多少高めのお茶を持ってきます。休憩してしばらく立っているので、信長の体温も落ち着き、喉の渇きもそこまでではないので、このお茶の量と温度が心地よいものでした。
満足した信長は試しにもう一度「代わりを持てい」というと、秀吉は熱々で少量のお茶を持ってきました。信長は秀吉があまりにも気が利くので、彼を重宝しました。
こういういうエピソードです。日本人である私たちからすると、このような気が利く人物がとても重宝がられるのはうなずけるのではないでしょうか。日本において気が利くというのはかなり重要な価値であって、現在の会社勤めにおいてもかなり重要視されていると私は考えています。
「気が利く」というのは、「相手が何を望んでいるのかを的確に想像する力」であると言えるでしょう。「言わなくても伝わる」なんてことを外国人に説明すると、「日本人にはテレパシーがあるのか?」と本気で質問されたという、ウソか本当かわからないような話もあります。
では、発達障害が不利な理由とは?
発達障害の一種である自閉症スペクトラム障害やアスペルガー症候群の人の特性に、「想像力の障害」というものがあります。翻訳者のニキ・リンコ氏は当事者であるご自身の経験から想像力の障害をさらに分類し、
- 想像が不足する
- 想像が間違っている
- 想像が過剰である
と整理してくれています。このような性質を生まれながらに持っている方にとっては「気が利くこと」に大きな価値が置かれている社会では、かなり不利だと言わざるを得ません。ちなみに、ニキ・リンコ氏が想像力の障害について述べている以下の本はとても参考になります。
わが家では、自分で伝えることに価値を置く
そういうことを日頃考えていることもあって、私は自分の家庭では「自分で伝えること」の価値を大切にするようにしています。5才の長男が発達障害疑いであることを差し引いても、やっぱり自分で伝えることは大切です。
自立とは、自分のことはなるべく自分でやれる状態のことを言います。誰かに何かを要求するためには、
- 自分が望んでいることを自覚すること
- 自覚した自分の望みを相手に伝わる言葉にすること
が必要になります。こういった一つ一つのことを丁寧に育てていくことが、20年後の自立に向かって少しずつ近づいていくことになるのだと考えています。