発達障害の子どもがいる親父は、背中で語っているだけで大丈夫なのか?
私たちに刷り込まれている(昔の?)日本の美徳の一つ「おやじは何も言わず、背中で語るべし」について考えてみます。この美徳は、果たしてアスペルガー症候群や自閉症スペクトラム障害の子に対して良い教育効果をもたらす可能性があるのでしょうか?
自閉症スペクトラム障害の「想像力の障害」
自閉症スペクトラム障害の3つの障害のうちの一つに、想像力の障害があります。想像力の障害をもう少し細かく分類すると、
- 想像の不足
- 想像が間違っている
- 想像が過剰である
という問題があります。この3つが組み合わさって、様々な誤解を蓄積していく可能性があるのです。
このような特性のある子どもに対して、「何も言わず、背中で語る」ことをしている時にどのようなことが生じる可能性があるのでしょうか?ちなみにここで想定する「何も言わず、背中で語る」は、
- 喜びの感情を言葉や絵で表さないこと
- その子が理解できるように言葉や絵で表さないこと
を指すこととします。
背中で語る父と、子どもの想像力の障害が組み合わさった状態の例
「何も言わず、背中で語る」ことに対して想像力の障害が生じた場合に、どのような解釈が自閉症スペクトラム障害の子に生じる可能性があるか考えてみましょう。例えば、
- 時々家にいる、あの人は誰だろう?(父と認識していない)
- なんだか、お父さんはぼく以外の家族とは仲が良さそうだな(ちょっとさみしい)
- お父さんのことは別に何とも思わないな(好き、という感情がまったく無い。無関心)
こんな心の状態になっている可能性だってあります。高倉健さんよろしく、「自分は不器用ですから」を体現していると、父も子も双方寂しかったり残念な気持ちになってしまう状況が起こりえます。
「背中で語る」代わりにどうすればいいのか?
背中で語る代わりに、言葉と絵で語りましょう。私が3才当時の長男と心が通じあった瞬間は、彼が幼稚園の制服に着替えている時のこんな状況でした。
子:(基本的に乗り気ではない着替えを、珍しく自分で行っている)
父:おぉ!きみが自分で着替えができていて、パパはうれしいぞ!
子:え?!パパって こんなことがうれしいの?( ´∀`)
これを境に、彼が私の膝にも座ってくるようになったことを覚えています。逆にそれまでは私は彼にはあまり相手にされていないというか、関心の外にあった気がしています。
過去に書いた記事の中には絵で語る方法も説明しています。以下の記事の内容は、妹とケンカして家の外に出て行った長男を探している父と母がどんな気持ちであったのかを説明するという内容です。無茶なことをして心配をかけるのは良くないよ、ということを5歳児にも理解しやすく伝えています。
このように、伝えるやり方はいろいろとあります。「おやじは何も言わず、背中で語るべし」だけでなく「おやじは言葉で語るのみならず、絵でも語るべし」という美徳があってもいいかなと思う次第。