当たり前だから価値が無い?いえいえ、当たり前だからこそ大切なんです
「こんなことはできて当たり前」という言い方を耳にすることがあります。このような表現には「当たり前=価値が無い」という意味が含まれているようです。この表現を子どもに対していう場合、「あなたのやっていることに価値はないよ」というメッセージを子どもに送っていることにもなり得ます。
一方、私の考え方は「当たり前=大切なこと」です。なぜ、このような考え方の違いが生じるのか、そして「当たり前=価値が無い」という考え方から生じる弊害について考えてみましょう。
家事をやって、誰からも感謝されないと嘆くお母さん
お母さんあるあるです。家事を行っているほとんどのお母さんは「家事をやっても、誰からも感謝されない」と悲しんだことがあると思います。かくいう私も、妻に感謝を伝え忘れて怒られることがあります。
子どもに対して「こんなことはできて当たり前」と言ったことがあるお母さんも、自分のことを振り返ってみると「当たり前のことを大切に感じて欲しい」と感じた経験があるはずです。そう考えると、子どもに対して「こんなことはできて当たり前」と言うことは不公平なことなのかもしれません。
東日本大震災:当たり前のことが、こんなにも大切なのかと痛感した共通体験
「こんなことはできて当たり前」という意味合いの言葉を、親御さんとの会話の中でキャッチした時に、私が必ずする話があります。それが東日本大震災の話です。
東日本大震災が起こった直後のことを思い出してみてください。ケータイ電話は通じない、電車や交通は止まっている、電気も水道も止まっている、家に帰れない、家族に会えない、もしかしたら日本は住むことができない土地になるかもしれない、などなど。
今まで当たり前に享受していたすべてのものが使えなくなり、今まで当たり前だと思っていたことが、どれほど自分たちにとって大切なものであったのか痛感したはずです。そして、少しずつそれまでの当たり前の状態が復旧してきた時にどれほど「ありがてぇ(泣)」という気持ちになったことか思い出してみてください。当たり前のことはそのくらい大切なことなのです。
子どもが当たり前に行っていることが失われたら?と想像してみる
成長とは、それまでできなかったことが、できるようになることです。言い方を変えると、「それまで当たり前ではなかったことが、当たり前になった状態」を成長した状態と表現することができます。
そのように考えると、「当たり前=価値が無い」と考えるということは「成長=価値が無い」と考えることにもつながっていきます。実際に、「こんなことできて当たり前」と言われることの多い子は、成長することをやめてしまいます。自分なりにやっていることを評価されないどころか、否定されるわけですから、成長をやめてしまうことは必然だと言えます。
ですから、「当たり前=成長の成果」と考えましょう。そして何を次の「当たり前」にしていくのがその子にとって適切な目標になるのか考えてみましょう。目標は細かく細かく細かく設定していくことが大切です。以下の記事が参考になるかもしれません。