親が空気を読ませすぎていると、子は不要な深読みをするようになっていく
「 空気を読ませる」というのは日本に独特のコミュニケーションのやり方であるようです。このようなコミュニケーションのやり方が浸透していった理由には、島国であることで外国の文化を強制的に浸透させられるようなことがなかったため、同じ文化を共有する度合いが強く、「こんな時には、こうするよね」という阿吽の呼吸(あうんのこきゅう)が醸成されていきやすかったという歴史的な経緯があるようです(説は色いろあると思いますが)。ここでは、「空気を読ませる」コミュニケーションのやり方が子どもに与える影響について考えてみましょう。
「空気を読ませる」の具体例
例えば以下ような状況が、空気を読ませる状況であるといえます。
例1
(子が母を察して片付けの手伝いをしないことで母が怒っている状況)
母:これから片付けするね(疲れた表情)
子:一緒に手伝うよ
母:ううん、大丈夫(疲れた表情)
子:そう、ならいいんだけど(手伝わないことにした)
母:(`A´)(明らかに怒った態度になっている)
例2
(子が自分のために冷蔵庫からお茶を出している状況で)
子:お母さんもお茶飲む?
母:ううん、大丈夫だよ
子:わかった(自分の分だけ注いで飲む)
母:私には入れてくれなかったのね(ため息)
以上の例はどちらも共通して、母が最初に言ったことを子がその通りにやったら後から批判(落胆)される、という点で共通しています。【相手が何を言おうと、ある特定の状況ではこうするべきだ】というのが「空気を読む」ということの一側面であるようです。
また、空気を読ませるコミュニケーションは「自分で伝える」という主体的なやり方ではなく、「相手に察してもらう」という他力本願なやり方であると言えるかもしれません。
空気を読みなさい=深読みしなさい?
この「 空気を読ませる」を親が子に対して過度に行っていくと、子どもは不要な深読みをするようになっていくようです。
深読みの弊害には以下の様なものがありそうです。
- 深読みしすぎて何が正しいのかわからなくなってしまう
- 相手が何を言っても、言葉をそのまま受け取れない(コミュニケーションが機能不全になる)
- 自分が言ったことが、相手にどう受け取られるのか分からなくなる
- その結果、他者と関わるのが怖くなってくる
要するに、人間不信になっていくとも言えるかもしれません。
では、どうすると良いのか?
「空気を読ませる」の反対のやり方は「言ってることとやってることを一致させる」です。母の視点からどうすればいいかというと、
例1の場合では、子どもが「手伝うよ」と言ったのであれば「じゃあやってね」と言いつつ、遠慮する気持ちは抑えましょう。結果的に、一人で片付けをして疲れて、さらに子どもに冷たい怒りをぶつけることになるよりはずっとマシです。ちなみに「遠慮する」というのも「空気を読む」のパターンの一つですね。
また、例2の場合では、子どもが「お茶、飲む?」と尋ねた時に遠慮をしないで「お願いね」と言うのが良いということになります。こちらも同様に、飲み物を持ってきてもらえずに、子どもに冷たい怒りをぶつけることになるよりはずっとマシです。
親の体に染み付いた「過度な遠慮」は、子どもに与える悪い影響も考慮しながら、自分でコントロールしていく必要があると私は考えています。