自分がやっていることが「いじめかもしれない」と中高生に気が付いてもらうための話
体への暴力
いじめが体への暴力として行われることがあります。誰かに対して、叩く、蹴る、押さえつける、突き飛ばす、などをするのが体への暴力です。暴力は受ける人に対して、体に痛みを生じさせたり、場合によっては骨を折ったり、障害が残ってしまったり、不運が重なって最悪の場合は死んでしまうこともあります。
そんなふうになると思っていなくたって、間違って重症を負わせてしまうことだってあるのです。「こんな大変なことになるは思ってなかった」と証言をする加害者もたくさんいます。頭に血が上ってやり過ぎてしまうこともあれば、一緒にいる仲間がいる手前なので引っ込みがつかなくなってしまうこともあるようです。
ケガが重症であるほど、被害を受けている人は苦しみますし、障害がずっと残ってしまうこともあります。目が見えなくなったり、耳が聞こえなくなったり、足や腕が動かなくなってしまうことだってあります。暴力をふるってしまった人も法律で罰せられたり隔離(かくり)されたりする場合があります。やってしまった人が成人していれば、刑務所に入ることだってあるでしょう。
これは友達同士や同級生であっても、兄弟同士であっても、暴力を振るった人は罰を受ける可能性があることは同じです。
心への暴力
いじめが心への暴力として行われることがあります。誰かに対して、バカ、死ね、殺すぞ、クサイ、デブ、ブス、などと言うことは心への暴力です。また、無視をする、仲間はずれにする、というのも心への暴力です。
心への暴力は体への暴力よりもずっとわかりにくいですが、やられている人に深刻なダメージを与えます。心にダメージを受けた人は、うつ病になったり、突然恐怖に襲われる"PTSD"という症状が出たり、人と関わることが恐ろしくなってしまって外に出られなくなってしまうことだってあります。
それに心の病気になると脳がゆがんだり、縮んでしまうことが分かっています。実は、心へのダメージは脳へのダメージなのです。その意味では心への暴力だって、体への暴力だと言うことができます。脳がダメージを受けると、生活することが難しくなってしまったり、ものを覚えられなくなったりという障害が生じて、勉強や遊ぶことができなくなってしまいます。一度生じた障害は治るのに何年もの時間がかかることがありますし、場合によっては一生のあいだ引きずることだってあります。
心への暴力は軽く見られがちです。ですが軽く見られがちなので際限なく心の暴力を振るってしまって、気がついたら取り返しがつかないくらいのダメージを負わせてしまうことがあります。
被害者も加害者も人生を台無しにしてしまう
ここまでダメージを受けた人がどうなってしまうかについて説明してきました。ここからは、ダメージを与えてしまった人(加害者)がどうなるのかについて考えましょう。
加害者の人は被害者が本当に参ってしまってから初めて、自分がやってしまったヒドイことに気がつく場合があります。そして加害者の人は自分自身を「自分は周りの人を傷付けてしまう悪い人間なんだ」と考えるようになります。このように自分のことを考えるようになると、自分自身のことを嫌いになって、再び周囲の人を傷つけることをしてしまうという悪循環になっていってしまいます。
そのようにならないためにも、自分が間違っているかもしれないと思ったら自分自身にブレーキをかけることが大切です。そして自分の間違いに気がついてブレーキをかけることは恥ずかしいことではありません。むしろとても勇気があることといえるかもしれません。なぜなら、自分が間違っていたことを認めてやり方を改めると自分自身を否定するように感じられて、とても怖く感じる人もいるからです。怖いことをやれるのはとても勇気があることです。自分の中にあるちょっとの勇気を出して、「被害にあっている人」と「自分自身」を守ってあげられると良いと思います。